崑曲の保存と復興に関するいくつかの構想

                章 培恒(浦部依子訳)

 
作者章培恒先生は、上海の復旦大学傑出教授、中国古代文学研究中心主任であり、著名な中国古典文学研究家。この文章は、崑曲が2001年5月18日国連教育科学文化機関(ユネスコ)により「人類の口承および非物質遺産の傑作」、いわゆる世界無形文化遺産に登録されてまもなく、新聞紙上で発表されたもので、原題は「不能欣賞崑曲是知識分子素養上的缺憾−関於保存和復興崑曲的幾点設想(崑曲の鑑賞ができないのは知識人の素養上の欠陥である−崑曲の保存と復興に関するいくつかの構想)」であり、大いに話題を呼びました。

 
 近年中国の崑曲芸術が、他の国の十八項目の文化遺産と共に、ユネスコによって「人類の口承および無形遺産の傑作」に指定された。同組織の事務長松浦晃一郎氏は更に各国政府に対し、緊急措置を講じてその保護保存と復興につとめることを呼びかけた。

  このできごとに、崑曲に関心を持つ人々を喜ばせ奮い立たせたばかりでなく、崑曲を全く知らない人に対しても大きな喜びをもたらした。これにより中国文化の栄光が、また一つの例証を持つことになったのである。しかし私が想うに、この事と同時に、真剣に考えてゆかなければならない崑曲の保護、復興の問題は、実に厄介な事柄なのである。
  この数十年来、崑曲が人気のないことは周知の事実である。1956年上演の『十五貫』は中央指導者たちの賞賛とその他いくつかの原因から一時空前の盛況をみたのだが、総体的に言えば、崑曲は前世紀の五,六十年代はなお観客のごく少ない劇のひとつであり、そのため上海では当時ただ京崑劇団のみが成立し、単独での崑劇団は存在しなかった。聞くところによると、それはつまり崑曲の観客が少ないことを考慮すると、単独の崑劇団は独立運営せねばならず、それでは困難が多すぎることによるものだった。
  八,九十年代には崑曲の観客がなお一層減少しただけでなく、市場経済体制の影響から、観客のすくない崑曲の俳優や脚色、演出人員の待遇は実にひどく低く、この事がまた一連の新問題を生んだ。崑曲は、すでに深刻な生存危機に瀕していたと言える。
  このような危機が生じた主な原因はほかでもなく、崑曲と今日の観客−特に青年の観客、との間に大きな距離が存在することであり、またこれを除去あるいは縮小する方法がないことである。
  私は、1994年『上海戯劇』第一期に発表した「神聖憂思録:雑談中国戯曲的前景」の中で、かつてこれについて分析をこころみたが、今日に至ってもなお同様の考えである。いまここに抄出してみよう。

 『崑曲は、一種極めて到達度の高い芸術である。だが如何なる芸術の興隆も、もれなくその一定の背景と需要がある。明の万暦時代、迅速に勃興した崑曲は、本来当時の士大夫の生活の情趣や芸術趣味と相一致するものであった。彼らが賞美したものは、閑適と空霊(超俗で万化し跡形がない)であった。前者は崑曲にゆったりしたリズムをもたらし、後者は崑曲の軽やかでかつしなやかな芸術的境地を形成した。また同時に、彼らの心の奥深くにある社会や人生に対する哀愁、悲凉を内に秘めざるを得ず、ゆえにその旋律にもつねに深い憂いや纏綿の趣きがはっきりと描き出された。
 清の乾隆時代に至り、市民階級の力は晩明期に比べ明らかな増加を見た。彼らは経済的力量によって自分たちのために戯曲をうまく取り込んだが、ゆったりとしたリズムや深い憂い、軽やかさ、しなやかさなどといったことは、彼らにとって元来さほど適合するものではなかった。彼ら市民階級が、万暦時代において崑曲を受け入れたその理由は外でもなく、戯曲のかたちを変えるには彼らがなお無力であったためである。またその他の劇の芸術的レベルは、崑曲に比べ非常に劣っていた。したがって、士大夫と共に崑曲を観るほかなかったのである。そして崑曲を含む戯曲が、ひとたび彼らの生活の情趣と芸術趣味を考慮しなければならなくなった時、崑曲のみが尊ばれるという局面は、維持し続けることができなくなっていたのである。
  時あたかも乾隆時期の多くの士大夫たちは、すでに現実を重んじる傾向にあり、空霊を尊びはしなかった。考証学―いわゆる乾嘉の学―の台頭はその明らかなサインであり、軽やかでかつしなやかな崑曲を鑑賞しようとする士大夫は、どんどん減少していった。
  こうして乾隆時代は、崑曲の隆盛から衰退への転換期となったのである。これに代わって興ったのは、子腔や二黄調などの地方劇であった。
  清末に至り、京劇はついに崑曲に取って代わり、劇壇の盟主の座についた。それからというもの、崑曲は一層その退勢挽回が難しくなった。1956年『十五貫』の上演は、これと崑曲の伝統との関係には触れずさておき(これについては下に述べるが)、崑曲に対して、一本の強心剤を打ったにすぎなかったのである』 

 今日に至っては、絶対多数の青年たちはみな目標に向って苦闘の最中であり、彼らと閑適とは無縁なのである。苦闘の中での失敗の痛みや成功の喜びにしても、懸命のあがきや勇躍前進の勇ましさにしても、これらの感情は悉く強烈なものであり、粗雑さを免れないことさえある。いったいどうして空霊などということを体得できようか?彼らと、リズムのゆったりとした、軽やかでかつしなやかな崑曲との距離を埋められるはずがないのは言うまでもないことである。ましてさらに、思想意識や時代背景のギャップが存在すれば尚更だ。例えば『玉簪記』の「琴挑」は、男女の恋愛を描いた頗る優美な崑曲の折子戯(独立演出の一幕)である。しかしあのように秘めやかにこっそりと愛し合うなどというスタイルは、観客もただ男女間の封建的おきての重圧に耐えている時代でなければ、共感を抱きようのないものであろうし、今日多くの都市青年から言えば、それはせいぜいただ一種漠然とした観賞の対象となりうるのみなのである。 
  そして正にこの理由で、今日崑曲を保存、復興すべき時に、崑曲をいわゆる“改革”する事によって今日の人々との距離を縮め、ひいてはなくす事など、ゆめゆめ空想してはならない。それは上述の崑曲芸術の特徴が、その実まさに崑曲の芸術生命の存する所であるからだ。それらに大きな改変を加えないかぎり、崑曲と今日の人々との距離は決して縮小しない。しかしまた仮に大きな改変がなされれば、崑曲は消失することになるのだ。あるいは崑曲に似ても似つかぬ形骸を、なお残すかもしれない。しかしそれは崑曲の保護や復興ではなくして、崑曲への侮辱と壊滅である。
  更に、崑曲は一つの総合芸術であり、優美な曲詞、優美な音楽(唱の節回しを含む)、優美な動作が、必ず互いに調和して、初めて完美な演出となり得るのである。しかし例えば『牡丹亭・遊園驚夢』、『玉簪記・琴挑』、『宝剣記・夜奔』、『虎嚢弾・山門』のような美しい曲辞を描き出し、曲牌が要求する旋律に完全に符合させ、さらにこれらの曲辞や音楽に調和した優美な動作を設計することなど、今や誰にもできない。
  これは決して今の人の才能が古の人に及ばないというのではなく、今日の人々の生活の情趣、芸術趣味や幼い頃からの教育と、古の人々のそれとの差が大きすぎるのであり、これら二者の調和は困難なのである。従って、今日新しい崑曲の台本を作るとなると、まちがいなく崑曲のこころとかたちは共に失われ、似て非なるものさえ作り上げることはできないのであり、またもし古くからある崑曲の台本を改編するとなると、非常に優れたものを台無しにするにすぎないこととなる。前世紀八十年代以来、嘗て新編や改編の崑曲劇本は数多く上演されたが、そのうちいったいどの劇が芸術的生命力を持ち、伝承しつづけるに足るものであるといえようか?
 『十五貫』が五十年代において引き起こしたセンセーションから、私の考えに反論する人がいるかもしれない。しかしながら、『十五貫』はいかほどの崑曲の芸術的特色を残していたであろうか? あるいは我々は『十五貫』の中に、崑曲の本来の姿をどれほど見ることができるだろうか?仮に我々の今日ある全ての崑曲がことごとく『十五貫』のスタイルであったとすれば、万暦時代より伝わってきた文化遺産であり芸術の至宝である崑曲は、いままで保存されてきたと言いうるのであろうか、あるいは復興しうるのであろうか? 私は決して『十五貫』の成功を否定するわけではない。私がいいたいのは、『十五貫』は本来の意義でいう崑曲ではない、ということなのである。    
  従って、崑曲を保存、復興するためには、以下のことを実行しなければならないと私は思う。

 第一に、崑曲の伝統芸術の特色を完全に保存すること。これらの特色は各々の劇本と其の演出の中に体現されているので、関係資料を録画、録音等の方法によってできる限り収集し伝承しなければならない。
  第二に、崑劇の優れた伝統を充分に保持発揚できる集団を形成せねばならない。
  第三に、少なくとも一、二の非常に高レベルの崑劇団をつくり、国家或いは大企業が絶えず非営利的に資金供給し、主要俳優の待遇は我国の最高待遇の大学教授(大学教授間の実際の待遇差もかなり大きいので)よりも低くならないこと。其の他の俳優もこれに準ずる。
  第四に、社会全体において崑曲の価値を理解し、崑曲を尊重する一種の気風を形成し、高級知識人は、崑曲の鑑賞ができないのは知識人の素養上の欠陥だととらえるべきである。この点が実行できれば、崑曲を明解に詳述したシリーズの刊行物を出版したり、シリーズで講座を開いたり、大学で対応するコースを開設したり、またこれらの指導を行うよう専門家を組織し、粗製濫造ひいては間違いだらけの物が読者に誤りを残さぬようにしなければならない(このような物は現在既に出現している)。勿論、これは最低限度の要求であるが、これさえも実行できないようであれば、崑曲の保存と復興など話にならないのである。

 以上の構想は、ただ保存にのみ注意して、発展と改革については重点をおいていない。しかし、かりに本当に発展と改革が必要であるなら、我々はこれらを第二段階に置き、崑曲の特徴を完全に保存してからにしてはどうだろうか。発展、改革に失敗したうえに、保存すべきものも既に保存に間に合わなくなるなどということがないように。

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