海を越えた楽器 揚琴
                     赤 松 紀 彦


 中国の伝統楽器は、それだけで西洋のオーケストラに匹敵するような楽団ができるほど、さまざまな種類があります。こうした多種多彩な楽器は、もちろんそのすべてが中国で生み出されたというわけではありません。むしろ、西アジア、中央アジア起源の楽器をとりこみ、長い年月をかけて自国のものとしていったところに、中国音楽の特徴があります。  
 西アジア生まれの楽器として、まず第一に挙げるべきは琵琶でしょう。琵琶がシルクロードを通って中国にもたらされたのは、千五百年以上も前のこととされます。  
 一方、揚琴の方は、同じく西アジア起源の楽器ながら、中国に伝わるのは十七世紀、明末から清初のことでした。  
 その母胎となったのは、今もイランおよび北インドの民族楽器として知られるサントゥール、ないしはそれがヨーロッパに伝わり、少し形を変えたダルシマーだとされます。  
 その形状は、共鳴箱の上に、前が低音、奥が高音となるように金属弦を張ったものですが、構造の上で見逃せない秘密がひとつあります。それは、中高音の弦については弦長の比が右側と左側で3:2になるようにブリッジがたてられ、例えばドーソのように五度の音が出せるようになっていることです。そのため、音の数だけ弦を張る必要もなく、また演奏のうえでもより高度な技法を可能にしました。

 
 写真は筆者所蔵の二十世紀初期に製作されたと考えられる小揚琴で、今も演奏可能なほど保存状態もよく、たいへん貴重なものです。その形から胡蝶琴ともよばれるこのタイプのものは、初期の揚琴の姿を残しています。音域も狭く、音量もあまりありませんが、現代の改良揚琴がスティール弦であるのに対し、昔ながらの銅弦(純粋な銅ではなく、銅鑼などと同じく、響銅とよばれる合金製らしい)を張ると、愛らしい上品な音がします。  
 
 ところで、その伝来の経路については、興味深いことに次の三通りの説があります。  

1)西アジアから、海路を通って広東に伝えられたとする説。  
2)ヨーロッパのものが、宣教師により広東に伝えられたとする説。
  これも海路説。  
3)西アジア〜中央アジアを経て、新疆に伝えられたとする説。陸路説。

 第三説は、確かに新疆の少数民族楽器に揚琴に似たものが存在するのですが、早くから広東でこの楽器がもてはやされていたということを考え合わせると、やはり第一説か第二説が妥当なようです。  
 また、第一説と第二説については、中国音楽学院の許平心氏『揚琴概説』(http://www.dulcimercn.com/index.htm、中国を代表する揚琴演奏家項祖華氏によるサイト)の中では、その構造から見て、サントゥールが直接伝わったわけではなく、ヨーロッパに伝わって、それがさらに中国に伝わったとされています。その理由は、弦を左右に分けるブリッジの位置が、ダルシマーと揚琴とは、弦長が3:2(五度音程)であるのに対し、サントゥールは2:1(八度音程)である点です。  
 第二説が正しいとすると、中国の民族楽器は、ヨーロッパの楽器まで取り込んだこととなり、たいへん興味深い現象かと思います。  

 さて、『臙脂扣(邦題:ルージュ)』(1988年)という香港映画があります。張国栄(レスリー・チャン)と梅艶芳(アニタ・ムイ)による、奇妙なラブ・ストーリーで、張国栄は03年4月に自殺、またそのあとを追うかのように梅艶芳も同年12月に癌で亡くなりました。映画の中では、恋人同士の二人は心中し、梅艶芳の扮する妓女如花だけが亡くなるのですが。   
 物語の冒頭は1930年代の広東の妓館を舞台としており、主人公の妓女如花が歌(粤曲)を唱う場面から始まります。その中で、伴奏楽器の中心になっているのが、揚琴です。映画そのものは、やや改良された小揚琴を使っており、また二胡などは現代二胡そのもので、30年代という感じではないのですが、独特の雰囲気があり、なかなか印象的です。  
 この映画が示すように、清代から民国期にかけて、揚琴といえば、何よりもまず広東音楽と縁の深い楽器でした。それは、この楽器が広東にまず伝えられ、新しい楽器としてもてはやされたことと無関係ではありません。  
 とりわけ妓女たちの唱う小唄の類の伴奏楽器としてのイメージが強かったらしく、上海などでも、江南の妓女たちの楽器といえばいうまでもなく琵琶だったのに対し、広東出身の妓女は、揚琴を持っていたといわれています。  
 もちろん、広東ばかりでなく、この楽器は中国全土に広まっていったのですが、その多くは語り物の伴奏楽器としてであり、この楽器をとりいれた純粋の器楽合奏としては、広東音楽や江南絲竹といったものがあるのみでした。  
 この楽器が、飛躍的に発展するのは二十世紀後半のことです。他の伝統楽器と同じく、西洋の楽器に匹敵するような音域と音量を求めて、改良がすすめられ、独奏用として非常に大型の、転調可能なものまで制作されました。その音域は4オクターブを越えます。また演奏技法の点も独奏楽器としての多彩な技法が考案され、その独特の音色を生かして、伝統楽曲の編曲もののみならず、かずかずの魅力ある独奏曲が生み出されました。  
 ただ、大型の現代揚琴は、その音量、機能と引き替えに、小揚琴の持つキラキラした独特の音色を失ってしまったように思います。江南絲竹でも、それこそほんの十年前くらいまでは、あちらこちらでこうした小揚琴が使用されていましたが、残念ながら今やすっかり姿を消してしまいました。  因みに、キングレコード、ワールドミュージックシリーズ所収の『漢宮秋月〜中国江南の小合奏』に収められた楽曲は、揚琴パートが、江南絲竹の揚琴演奏にかけては第一人者である周恵先生による、伝統的な小揚琴である点で、たいへん貴重な録音です。    
               
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